人間の行動は脳の支配から逃れられない

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分かっちゃいるけど、やめられない〜!

 

テスト前になると、いきなり勉強部屋の掃除を始めちゃったり、

「ダイエットする!」と決めたはずなのに、
目の前に美味しそうなものが置かれちゃったら、
「明日から〜」とか、、、

誰にも、こんな経験ありますよねー?

こんな時、「意思が弱いからだめだ〜」と思ってしまいませんか?

 

私たちの脳のエンジン=「基本的欲求」

基本的欲求と聞くと、マズローの欲求段階が有名ですね。

アメリカ心理学者アブラハム・マズローが、「人間は自己実現に向かって絶えず成長する」と仮定し、人間の欲求を5段階の階層で理論化したものである。これは、マズローの欲求段階自己実現理論とも称される。(wikipediaより)

 

これは、自己実現のためには、まず土台から順々に積み上げていく必要があるというものです。

 

この欲求段階とは異なり、選択理論心理学には、「5つの基本的欲求」という考え方があります。

生存の欲求・・・長生きしたい、もっと食べたい、たくさん寝たい、SEXしたいなど、安全でいたいなど

愛/所属の欲求・・・愛されたい、仲間と居たい

力の欲求・・・認められたい、達成したい、勝ちたいなど

自由の欲求・・・自分で選びたい、自分で決めたい

楽しみの欲求・・・いつもワクワクしていたい、新しい事に触れたい、もっと知りたい

 

これらには、マズローのような「段階」はなく、

生まれ持ってきた特性として、「強弱」があり、その特性は、人生の中であまり変化しないとも言われます。

 

つまり、他人からの影響を受けることによって、変化することを期待できないという事です。

 

 

パートナーの基本的欲求は、結婚生活の質に大きく影響する

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想像してみて下さい。

共働きの夫婦のある週末の風景。

生存の欲求の高い夫は、せっかくの週末は、身体を休めたいから、なるべく家でゆっくりして過ごしたい。

一方、楽しみの欲求の高い妻は、せっかくの週末は、どこか「まだ行った事のない場所」に行って、新しい経験がしたい!

 

この時に、双方が自由の欲求が高い者同士であるならば、

夫:「じゃ、君だけ行っておいでよ!僕はゆっくり寝て、家で映画でもみてるから」

妻:「OK!じゃーねー!」

と、それぞれが、それぞれの「欲求を満たす」週末を過ごす事が出来るので、何の問題も起きませんね。

 

ところが、夫が「愛/所属の欲求」が高い場合、

夫:「えー、どうして僕と一緒に居てくれないの?それって、寂しいよね〜」
とか行ってくる可能性があるわけです。

 

めんどくさ〜い・・・

 

新婚ホヤホヤのうちなら、「愛されてるなー」って実感が高まって嬉しいでしょうけれど、

基本的欲求はほとんど変わらないわけですから、結婚して10年経っても、同じことを言ってくるかも・・・

 

 

また、夫が力の欲求が強い場合は、

夫:「今日は、夫婦で一緒に家でのんびりしよう!そもそも、何で、僕以外の男が居るところに行く必要があるの?」

という感じで、二人の週末の過ごし方を自分の意見で決めようとしたがる・・・

 

夫婦で旅行に行ったり、外食をしたりという時でも、力の欲求の強い方が一方的に、
「何をするか」「何を食べるか」「どこに行くか」を決めてしまったとしたら・・・

 

 

どちらかが自分の欲求を満たす事を我慢して、「相手が欲求を満たす」ために付き合う。

 

この関係性が長く続いた場合、良い夫婦関係を持続するのは難しそうですよね?

 

 

一方が我慢して譲る事を繰り返していて、一見「仲が良さそう」な夫婦に見えたとしても、

我慢し続けている方が、「本当に幸せか?」と尋ねられたら、

 

心からハッピーとは言えないのです。

 

だって、「脳の欲求」を押さえつけられているのですから。

 

 

力の欲求・自由の欲求が強い人は結婚に向かない?

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子どもができるまでの、大人だけの関係の間は、まだましなのです。

それぞれの「基本的欲求」が、良好な結婚生活の持続にとって難しさを生む場合組み合わせの場合、

 

例えば、「自由の欲求」「楽しみの欲求」の高い妻が、助産院での出産を希望したとしても、

「生存の欲求」「力の欲求」の高い夫が、大反対をして、

「子どもの命に万が一のことがあったらどうする?君が責任取れないよね?」とか言われ、

結局は、医療設備の整った病院での出産を受け入れざるを得ないということになるでしょう。

 

この時、妻の側が「力の欲求」「自由の欲求」があまり高くないのでしたら、

「まーいっかー」と、飲み込むことが出来るかもしれないのですが、

 

妻も「力の欲求」「自由の欲求」が高い場合には、

自分の人生に関わる重要なことを「自分で選択できない」というストレスになるわけです。

 

子どもの成長に伴って、「何を経験させるか」という時にも、

生存の欲求の高い夫は、子どもにリスクになる可能性の高いことは避けさせたいという思いが強く、

楽しみの欲求の高い妻は、ちょっと冒険させても、色々なチャレンジをさせてあげたいと考える。

 

生活の様々なシーンで「基本的欲求」の組み合わせが影響します。

 

 

正直に暴露すると、正にこれが、私の体験なのです。

 

私の元夫は、

生存の欲求、力の欲求、が高かったと思います。

 

一方、私は、

力の欲求、自由の欲求、楽しみの欲求が高い。

 

本当に様々なシーンで、お互いの「当たり前」が相手にとっての「思いがけない!」という感じで受け入れがたく、

その上、嫁ぎ先はお寺でしたから、親との同居の中で、そもそも、文化の違いも大きく立ちはだかっていました。

 

 

パートナーを選ぶ時に考慮に入れるか、知識を持って努力するか

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繰り返します。

「基本的欲求」は、生まれ持ってのもので、人生で大きく変化する事はないと言われます。

 

という事は、結婚相手を決める時に、できる限り、

 

お互いの欲求を満たす邪魔をしないで、「自分の欲求」を満たす事ができる相手

 

との結婚ができた方が、より良い関係性を作り易いという事になります。

 

 

でも、出会ってしまった相手に「運命を感じて」しまったのなら、

どうやったら、お互いの欲求を満たす事ができるか?

を考えて、そのための行動を選択することが必要となるわけです。

 

これこそが、選択理論心理学を学ぶ価値と言えます。

 

私が離婚後、選択理論心理学に出会った時、

「この内容は、義務教育の中で、国民全員が学ぶ必要がある!」と感じたほどです。

 

実際に、北欧のある街では、市民の8割近くが選択理論心理学を学んでいるという地域があるとか。

 

日本も、そんな風になったら、間違いなく、家庭、学校、職場、社会全体の雰囲気が絶対に変わるでしょう。

 

残念にも、パートナーとの基本的欲求の組み合わせがあまり好ましくなかった場合、

どんな努力をする事ができるのか?

 

続きは、結婚するなら、どんな人を望みますか?

 

 

 

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